JLGは映画館のはしごが好きだった。それも途中から行き当たりばったりで入って鑑賞する。そこでは「スジ」を読むのではなく「表現」を味わうことが優先されている。
なので本もオーディブルも最初から聞く必要などない。。適当にパッとめくったページから、あるいは途中から再生してみること。
これによって見えてくる本質がある・・のかも。
つまりシャッフル。スキゾフレニア的シャッフルにより本質に迫ること。
ポストモダン構造主義がまさにそうだったな。
つかそれを長年忘れていたような気がする。
物事は最初から積み上げていく必要などどこにもないわけだ。
それはあたかもテレビをつけたらプロ野球の逆転がかかった2死満塁、みたいな。。
ここが一番おもしろいじゃん。しかも9回の裏に奇跡的においついたみたいな。
それを最初からスジを読んでる人は8回の裏でもう席を立つかもしれないということ。
いわば問題の「解」の直前にいきなりワープすること。
あるベクトルがあるとする。自分が進みたい、突き破りたいベクトル。目的の方向性のベクトル。
このベクトルを強化するのは逆方向のベクトルを強化することである。
これによって当初のベクトルが強くなる。
ディズニーは子どもたちにファンタジーを提供することだが、すべてがファンタジーだと飽きられる。つまらない。そうではなく、しっかり日常という土台を固めておくこと。日常があっての非日常なわけだ。
ディズニー映画「魔法にかけられて」2007がまさにそう。異世界のお姫様は現代のニューヨークに追放されてしまうが、その異世界と現代の通路というのがマンホールである、という点。。
日常を描くことによって非日常を浮き堀りにすること。
これは最近考えてる「映画を紹介するときはその映画から離れること」という考え方に合致する。
もちろん著作権問題を回避する意味でも有効だが裏からその映画を際立たせる、輪郭を明瞭に描くという意味でも有効となる。
で朝トレは10K
水道町の取水塔。
このジャングルに飲み込まれそうになってるところがいいね。
長岡大橋から。本流の横の川。
長岡大橋から大手大橋方面を見る
その大手大橋を渡る
今日はDチャン、2件ZOOM
かつお。いまいちだな
笹沢左保の「同じく人殺し」を久しぶりに開いた・・・
21時就寝。22時に母に起こされる。テレビを消して・・・