朝5時に外へ出たら気温10度、北風5m。
しかし半ズボンしかないので朝トレはあきらめる。
部屋で仕事しその後仮眠。

7時過ぎにサンドイッチとおにぎりを買いに、そして現金を降ろしに万代橋を渡り、新潟日報本社が入るメディアシップへ歩く。
万代橋は306m。あっという間だ。
でもなんか不思議なのは表記が萬代橋となっているところ。
いやいやそうではなかったはず。。
調べると2002年に国の重要文化財に指定されたとき、旧来の書き方に変更したのだそうだ。
そう、私の記憶は間違ってはなかった。万代橋なのだ。それが23年前に萬代橋に変わったのだ。。20数年ぶりに新潟市を訪れる私は知らないわけだ。

それにしても新潟市と長岡市、商業地域の規模感は数倍違う感覚だな。
歴史的には長岡のほうが数十倍濃密なものがあり、江戸期には新潟市は人口8000人程度?単なる漁村と田畑のみがひろがる天領だったのだが。。維新以降、そして近年、鮮やかに逆転されてとるわね。
メディアシップ
9時にT家族がスバルで迎えにきてくれた。
葬儀は10時開始。
あっけなく50分くらいで終わった。
参列が20名くらいなので仕方ないか・・・
川崎のT叔父さんと十数年ぶりにあった。
三越で叔父さんの絵を買って以来か・・・
ずっと母は祭壇に向かって手を振っていた・・・
3つ年下の妹に先立たれるとは。。享年86歳。
出棺後、マイクロバスで火葬場まで行く。
そしてお骨拾いまでの間、近くのセレモニーホールで御斎。
この御斎は最上級のメニューではないかとおもうくらいすごかった。
従姉妹の日本酒好きSがガンガン日本酒を独りで攻めていたのに、うちのママもびっくり(笑)私は日本酒も入り、かなり酩酊気分、睡眠障害もたたってかなりフラフラに笑
関屋分水。
1972年(昭和47年)8月10日に通水し、全長は約1.8 km。河口から約10 kmほど上流の平島へいじま地区から分流し、関屋地区を経て新潟砂丘を貫き日本海に注ぐ。
新潟市を洪水から守るため、信濃川を分岐させ、分水路を作った。すごいな。。。
再び葬儀会場に戻り、荷物をとって解散。
Y叔父(87歳)には、Nさんの分まで長生きしてくれよ、といって固い握手をして別れた。
従兄弟Kとも今度高崎か渋川で飲みたいと思った。
長岡駅前。私の実家が収まるショット。
新幹線では最初の30分ほど爆睡。
そして駅ナカのそば屋で早い夕飯。
マックを取り出して蕎麦屋で仕事を30分ほど。
生ビール、梅干しサワーX2 最後はきつねうどん大盛り。
帰宅後即就寝体制に。。。19-22時まで3時間寝る。。その後起きて今に至る。