6AKA! (ロクアカ)

茅場町で働く社長のブログ

7月11日(金)山本五十六の墓、長岡花火発射台を確認、キーマカレー、ポツダムを受諾していれば原爆投下はなかったのか

朝トレ 10k

幼少期に育った福住3丁目。ここに家と祖父の会社があったんだな。

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墓参。あとで気づいたが今日は父の誕生日だった。
同じ寺に山本五十六の墓も。山本帯刀と並んでいた。
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大手大橋の下に長生橋が見える
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打ち上げ台だろうか。長岡花火までもう少し。
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信濃川の水位が低い。屋形船の船着き場。
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長生橋とフェニックス大橋
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朝飯 田舎飯、これがうまいのだ。生卵と納豆(沈んでいる)f:id:academij:20250712080944j:image


久しぶりに動画編集の外注を探すために募集かけた。

甥っ子のI君作のキーマカレー
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めちゃ美味かった
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バッハの主よ。人の望みよ・・を練習。これ意外と難しい。
旋律を他の指が打鍵していると同時に、人差し指や中指で響かせなくてはならないところが途中出てくる。これどうやるんだよ!!

しかしまずは譜読み優先ということで全体をさらりと弾けるように方針転換。


学び 半藤一利「昭和史」
間に合わなかった降伏――昭和20年、破局への選択

昭和20年、日本本土は空襲と飢餓に覆われていた。生活物資はすべて配給制となり、新聞紙上には配給日と品目が掲載された。だが、その量は到底生活を維持できる水準ではなく、4人家族に対してイワシ2匹、タバコ6本というような配給にすぎなかった。市民はやむを得ず闇市に頼り、そこで手に入る物資は政府の統制を離れて高騰した。

一方、戦争の終結に向けて、近衛文麿、吉田茂ら一部の政治家たちは水面下で終戦の方法を検討していた。そんな中、昭和20年2月、ヤルタ会談が開催された。ルーズベルト、チャーチル、スターリンの3首脳が集まり、ヨーロッパ戦後秩序を決定するとともに、アメリカはソ連に対して対日参戦を依頼した。スターリンは、日露戦争で失った権益(南樺太・千島列島・満州の鉄道利権など)の回復を条件に、ドイツ降伏の3か月後に対日参戦することを約束した。

この動きに日本政府は気づいておらず、依然として「ソ連を通じた和平仲介」の希望を捨てていなかった。これは致命的な誤算であった。

その間、太平洋では硫黄島をめぐる激戦が繰り広げられていた。硫黄島は小笠原諸島に位置し、グアムやサイパンと日本本土をつなぐ中間地点にあり、アメリカ軍にとっては戦闘機の護衛・爆撃機の中継基地として不可欠な戦略拠点であった。日本軍約21,000人に対して、アメリカは約75,000人の大軍を投入。日本側の死者は20,000人以上にのぼり、島は焦土と化した。

3月には東京大空襲が行われ、一夜にして10万人以上が犠牲となる都市型無差別爆撃が始まった。そして4月1日には沖縄本島への上陸作戦が開始される。日本政府は本土決戦に備える構えを見せていたが、実際には備えは不十分であり、戦力も装備も圧倒的に不足していた。

4月7日、日本海軍の象徴であった戦艦「大和」が、片道燃料で沖縄へ出撃。だが米空母艦載機の波状攻撃により撃沈され、海軍の象徴は海底に沈んだ。

同じ月、世界では歴史が大きく動いた。ムッソリーニが処刑され、ヒトラーが自殺。ドイツは無条件降伏を受け入れ、戦争はヨーロッパで終結した。ソ連は日ソ中立条約の延長を拒否し、参戦の準備を進めていた。日本は、ソ連が対米英戦の仲介役となることを期待し、外交ルートを探っていたが、すでにソ連は「日本への裏切り」を決めていた。

7月16日、アメリカはニューメキシコ州で原爆実験「トリニティ」を成功させた。実はアメリカは1943年(昭和18年)5月の段階で、原爆投下の標的を日本のみと絞っていた。米国にはドイツからの移民も多かったからか。

7月にはポツダム会談が開かれ、アメリカの新大統領トルーマンがスターリン、チャーチル(後にアトリー)と共に、ドイツ処理と対日終戦に向けた最終方針を協議した。アメリカは「ソ連の参戦前に日本を降伏させる」方針を取り、ポツダム宣言を発表。日本に無条件降伏を要求した。

だが日本政府内では、ポツダム宣言の受け入れをめぐって意見が割れた。外務省はソ連との関係を損ねることを恐れて宣言受諾に慎重だった。メディアは「断固戦え」と煽り、陸軍も宣言に強く反発した。

首相の鈴木貫太郎は記者団に対し「ノーコメント」と述べたが、これが日本はポツダム宣言を「拒否した」と海外報道されることとなり、アメリカは原爆投下を最終決断する。

そして8月6日、アメリカは広島に原子爆弾を投下する。投下命令はすでに出されており、投下地点は目視で確認できる都市として広島、小倉、新潟、長崎の4都市が候補に挙げられていた。もし日本がポツダム宣言を早期に受諾していれば、広島・長崎の悲劇は避けられたかもしれない。しかし、その決断はついに間に合わなかった。