6AKA! (ロクアカ)

茅場町で働く社長のブログ

11月28日(火)電子書籍と「知の継承」の断絶


雨で朝トレ休み
ほぼ10日ぶりくらいのおやすみでした
シャワー、洗濯物の部屋干し
柔軟剤のにおいがきついので窓を開けて
外は暴風雨

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母を透析に送る
実家用に以前買ったチャイナ製のドライヤーから温風でなくなる
病院の帰り、コメリで鏡曇どめ、ジョーシンでパナソニックのドライヤーを購入
帰宅後仕事
今日の夜のウエビナーの準備
昼食は角上魚類の銀鱈の煮付け(最高)

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昼寝後、メルマガ執筆、台本チェック等々
20時からKIW氏とウエビナー
そこで私が読書は完全にキンドルをiPadminiで読んでることを話す。
真っ暗でも読めるし、本を持って歩かなくてよい。
メリットばかりかと思うと大きなデメリットも。
そう、電子書籍は「知の継承」を途絶させる。

つまり書籍というのは当然個人所有だが同時にそれは同居家族の目にも入る。
子は(私がそうだったが)、父の書籍や祖父の書籍の背表紙を見て育つ。
彼らは何を読んでるんだろう、これは子にとっての興味関心のひとつ。
父の書棚にあった吉村昭やアガサ・クリスティ、
トランプの自伝(30年前に出版されたもの)なんてのもあった
祖父の書棚には日本文学全集がずらりと並び、鴎外、漱石など
高校、大学の頃の夏休みとか貪るように呼んだ記憶がある。

私はこれらの書籍に少なからずの影響を受けていたのだと、

つまり何がいいたいかというと電子書籍は完全に個人に属す。
アマゾンアカウントを家族と共有することはないから(見られたくない購入物もあるし)
なので個人が没すと同時に全ての書籍はその個人と一緒に消滅するわけだ。

ところが紙の本は、家族が共有することができる。
とりわけ子供たちの興味関心の対象になる。
父が読んだ本を子が読む、あるいは私の孫が読む(孫はまだいないが)
そうやって父の「知」というものが子や孫へ継承されるわけだ。

しかしこの「知の継承」は電子書籍化によって終了する。
子や孫は本を読まなくなるわけだ。

さらに本棚の本は一種のオブジェにもなる。
一冊一冊に凝縮された世界を俯瞰することができる。
電子書籍はそれがほぼない。

そういう意味で電子書籍を読むのはもうやめようかなとも思っている。

ウエビナー後、越乃寒梅をお燗と冷で。
肴は銀鱈西京焼き、きんぴら、かぼちゃ煮、美味し
池波の仇討ち短編集を(kindleで)読みながら24時就寝