6AKA! (ロクアカ)

六本木で働く社長のブログ

祝令和!江戸時代から続く老舗企業が倒産しない意外な理由とは?


令和元年おめでとうございます!!


昭和が終わり平成が始まった時、僕は大学4年生でした。
昭和天皇崩御の記帳に皇居へ同級生の東(あずま)というやつといきました。


あの時は国民全員が喪に服していて、日本全体がどんよりと暗い雲に包まれているような感じ。

 

今回の令和元年フィーバーのような感じではなかった。

 

さて今日は令和から江戸時代へさかのぼります。

まずは江戸時代、三代家光が江戸城からみて鬼門の位置、上野に、東叡山寛永寺を建てました。

裏鬼門にある芝の増上寺とともに徳川将軍家の墓所とされます。

上野公園は寛永寺の広大な土地の一部です。

この寛永寺に埋葬された将軍は以下の通り、

4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定。

15人の将軍のうち、実に6名がここに眠ります。

そんな上野公園をDJI OSMO POCKETというスタビライザーカメラを持って散歩してきた映像がこちら。

www.6aca.net

 

さて改元の今日はもう少し、江戸時代の話を。


そう、今から約150年ほど前の1865年、幕末の大政奉還の2年前に創業した、「せんべい屋」があります。


その「せんべい屋」は、大政奉還や、第2次世界大戦など歴史の荒波を乗り越えて、150年以上続いています。江戸末期から現在にかけて支持され続けています。


草加せんべいの老舗、いけだ屋。

もともとは参勤交代でにぎわう奥州街道草加宿の街道沿いの茶店。


草加せんべいは、米どころ、草加であまった米を保存するために、団子状にして焼いたことにはじまるとされています。


以来、草加は穀倉地帯でできる、良質な米と天然の良水に恵まれ、さらには江戸川流域での醤油の誕生とが重なって、その名を全国に知られることになりました。

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草加の塩せんべい屋



さらに


大正時代以降、煎餅の認知度は高くなります。そのきっかけは当時川越で行われた特別大演習で、「煎餅」が埼玉の名産品として天皇に献上されたことにあります。
これが「天皇家が召し上がったおいしい草加の煎餅=草加せんべい」として名称が広がっていきました。このころから煎餅づくりは地場産業として発達していきました。

とのこと。引用元:草加市役所HP 草加せんべいの歴史

 


企業の寿命は10年といわれる時代、、、
100年、200年と続く企業と、10年そこらで姿を消してしまう企業の違いはどこにあるのでしょうか?

 

その違いとは、以下の2点。

1)人と人との信頼関係をしっかりと構築すること。
2)口コミを大切にするということ。

 

事実、大正12年9月の関東大震災で、被災者が数多く出ました。さいわいいけだ屋は被災を逃れましたが、米蔵にあった米をすべて炊き出しに使い、店の前を行き交う被災者の方々に無償でおにぎりを配った、とのこと。

人と人との信頼関係をしっかりと構築していますよね!

これらの地道な活動を通して、通信網の揃っていなかった時代から道行く人々に口伝てで伝わり支持されてきたのだそうです。