6AKA! (ロクアカ)

茅場町で働く社長のブログ

4月22日(水) ポトフからのリメイクカレー、溥儀の最後が壮絶すぎた・・

朝トレ 10k
田端駅の東側コースをまた攻めたくなった。
この妙に工業的で開放的な雰囲気が好きだ。

f:id:academij:20260423081128j:image

田端の切通し 振り返って撮影
f:id:academij:20260423081131j:image

不忍池に映るマンション
f:id:academij:20260423081125j:image

コマンドキーにシールを貼る
f:id:academij:20260423081141j:image

クイック朝飯
f:id:academij:20260423081134j:image


青森のOさんとZOOM
ショート2本

ポトフからのリメイクカレー
これは最高・・

f:id:academij:20260423081137j:image

ゆで卵2個
ちょっと茹ですぎたかな・・

f:id:academij:20260423081144j:image

鶏肉も入ってるがシャウエッセンが良い仕事をしている。。
これを食べるとライスがほとんど入らないレベル・・・

映像の世紀(UNEXT)で最後の皇帝 溥儀を見た。
この番組、まじみたことない映像のストック。
溥傑の妻、日本人の嵯峨浩(さがひろ)も見たことない映像が・・

wikipediaによれば

嵯峨 浩(さが ひろ、1914年〈大正3年〉3月16日 - 1987年〈昭和62年〉6月20日)は、侯爵嵯峨家(公家華族)の長女。愛新覚羅溥傑(満洲国皇帝愛新覚羅溥儀の弟)の妻。後に記した自伝のタイトルから「流転の王妃」として知られるが、溥傑は皇帝の弟ではあったものの爵位を授与されなかったため皇族ではなく平民で、浩は「妃」でも皇族、王族でもない。

とのこと。

溥儀は61歳で腎臓がんで死去。
まともな医療を拒絶されたのだ。

文化大革命の最中、溥儀は腎臓がんに侵された。1966年8月、紅衛兵が病院に押し寄せたことで医師たちが治療を放棄する事態となったが、これに憤った周恩来が直接介入したことで治療は再開された。

清朝および満州国皇帝という「反革命的」な出自ゆえ、多くの医療機関が入院を拒否したが、周恩来の手配により12月23日に北京医学院附属人民医院へ入院した。しかし、この時点でがんはすでに末期まで進行していた。周恩来は名医を派遣するなど手を尽くしたが、1967年10月17日午前2時30分、溥儀は尿毒症により死去した。

死の間際、最後に食べたいものを問われた溥儀は「チキンラーメン」と答えたと伝えられている。なお、その遺体は歴代皇帝の中で唯一、火葬に付された。

↑wikipediaの情報をまとめた

溥儀の一生を追いかけると、日本陸軍の近代史および中国の近代史が全て学べるのだ。