今日は朝トレはお休み。
7時頃まで寝てた。
それでも軽く朝飯
お昼に母と長岡駅の小嶋屋へ。
本店はお店広いが駐車場が狭いのでこちらのほうが確実。
ただ12:10というランチタイムど真ん中。2組待ち。15分くらい待たされた。

しかし2人なのに運が良いことに4人がけの席に。
ゼンマイ煮 これで750円くらいする。
さすがにこれは高すぎるかなと。
ニシン煮 漢字では鰊 これは定番だわね。
天へぎ 2400円

海老天ぶっかけそば 母が注文 完食
駐車場割引券をもらう。これを機械でスキャンすると2時間無料になるのだ!これはうれしい。
帰りに合図不履行で発進するトラックと青信号で突然停止するスズキ・イグニス。どちらもYouTube行き。
しかしこのツインバードのミニ冷蔵庫買ってよかった!!
めちゃ便利。奥には日本酒が・・・
20L。やはりこのサイズにして良かった。13Lだったら2本しか入らずだった。

全く無音というのが良い。夏はこれなしでは生活できんかった。よくこれまでの夏、乗り越えたもんだ。
学び 半藤一利 昭和史17
終戦への聖断――原爆・ソ連参戦・御前会議
1945年8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾が投下された。アメリカ軍B-29爆撃機「エノラ・ゲイ」によって投下されたこの爆弾「リトルボーイ」は、爆心地において摂氏3,000度を超える高温を生み出し、一瞬にして数万人の命を奪った。市街地は壊滅し、生き残った者の中にも焼けただれた身体でさまよう者が続出した。
この爆撃の報を受け、ソ連のヨシフ・スターリンは狂喜したとされる。彼はアメリカが原爆を保有したことを確認するとともに、自国でも原爆開発を急がせ、後の冷戦構造へとつながっていく。また、広島への原爆投下は、ソ連の対日参戦を促す動機ともなった。
8月9日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州への侵攻を開始した。これにより、日本が望んでいた「ソ連を通じた和平仲介」という最後の希望は完全に絶たれた。和平の仲介役を期待していたソ連は、現実には領土拡張を目指していたのである。
同日、長崎にも原子爆弾「ファットマン」が投下された。もし日本政府がポツダム宣言を速やかに受諾していれば、長崎への原爆投下は回避できた可能性もあるといわれている。
連日の悲劇に、日本の鈴木貫太郎首相は「もはやこれまで」と述べ、政府はついにポツダム宣言の受け入れを決断した。ただし、受け入れにあたっては1点の要望が出された。それは、「天皇の国体と地位の維持」であった。戦争指導者たちは、これだけは譲れぬ一線と考えていた。
ポツダム宣言受諾に向けて開かれた最高戦争指導会議では意見が大きく割れ、会議は紛糾した。陸軍強硬派は徹底抗戦を主張し、一部ではクーデター計画の兆しも見え始めていた。
8月14日深夜23時、最高戦争指導会議および閣僚を集めた御前会議が開かれる。ここで天皇自らが、「このままでは日本民族が滅亡する」と述べ、ポツダム宣言受諾を決定した。天皇の聖断により、軍・政府・司令部のトップが一堂に会したこの歴史的会議において、ついに日本の降伏が正式に決定された。