6AKA! (ロクアカ)

茅場町で働く社長のブログ

6月26日(木)小嶋屋総本店の天ばら御膳にやられた

肝臓ケア liver care のために朝トレなし。
母を送迎
迎えは妹と。その帰り小嶋屋総本店へ。
母はうな重セット、妹はミニ天丼セット、私は天ばら御膳(かき揚げ天丼をひつまぶしのように食べる)

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なんと母はこの全てを完食。すご・・・

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これは想定以上に美味かった。もう一度食べたい!!

これが食べ方・・・天ぷらがサクサクでまじうまし。
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O,D台本調整等々

家康は鉄砲鍛冶や火薬職人を三河に集めた。
そこで花火師の鍵屋とその弟子である玉屋がうまれた。
吉宗は享保の飢饉の慰霊灯籠流しを隅田川でやった。
その時両国橋を挟む形で鍵やと玉やの打ち上げ花火を行った。

韓国映画「トンネル」
まずまず。主人公が冒頭はじまってすぐにトンネルの崩落事故に巻き込まれるのが良い。


春日一幸(かすが かずゆき)は、戦後日本政治の中でも異彩を放った人物です。衆議院議員として10期以上を務め、自民党を離れて民社党を立ち上げ、さらには党首にまで上り詰めた実力者でした。しかし、彼の名を一部の人々に強く印象づけたのは、その政治的手腕だけではありません。むしろ、彼の「私生活の奔放さ」こそが、昭和的な“政治家像”の象徴として語り継がれているのです。

特に有名なのが「複数の妾を自宅で同居させていた」という話です。これは単なるゴシップではなく、本人も否定せず、むしろ自然体で受け止めていたとされています。徳島県出身で、若いころから地域の青年団活動を通じて顔の広かった春日は、地元でも“女にモテる男”として知られており、その噂は議員になってからも尾を引きました。

春日の自宅には、正妻のほかに数人の妾が住んでいたとされ、それぞれの女性に家事や来客対応などの役割分担があったといいます。まるで小さな「女系家族」あるいは「ハーレム」のような共同生活が、昭和の政治家の邸宅の中で、あっけらかんと展開されていたのです。関係者によれば、それぞれの女性との間に生まれた子どももいたという話もあり、春日は家族全体の面倒を見ていたとされます。

一部の政敵やマスコミからは「公私混同」「旧時代的」と批判もされましたが、春日は一切気にするそぶりを見せなかったと言われています。むしろ、「俺の家庭のことに口を出すな」という一喝で黙らせるような迫力があったとも。こうした豪胆さと堂々とした態度が、逆に有権者の信頼につながっていた面も否めません。