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上野公園、根津1コース
不忍池
上野動物園旧正門 昭和8年頃まで恩賜上野動物園の玄関口として使われていた表門。
朝飯
税理士の先生が来るので久々の出社。
MACを会社のやつに交換。500Gしかないが100Gを削除。
OSは2世代前のベンチュラだが、まぁいいや。ズームでシステム設定を毎回やらなきゃいけないと言うトラブルがなくなるしね。
売り上げは順調に増えた。しかし販管費が増えた。まぁ当たり前だが。ブランド集客から広告集客へ移行してる時だからこれは仕方ない。
先生はおそらく60代半ばであろうが、なんとフェラーリ 812を所有していた。さらに車の所有台数は8台とびっくり。
会社のDVD本棚。中には、レアDVDも含まれている。
この汚れた血とゴダールのマリアは それぞれ6000円を超える。
パソコンの調整、あるいはDチャンネルの素材集め。
よるは麺屋。
締めは味噌つけめん。初だが意外と美味しかった。梅杯は4杯くらい飲んだか。
帰宅後即就寝。
娘に度々起こされる。
朝の学び。
何かを始めるときは混乱のときにドサクサにまぎれて始めるという方法もある。
明治時代、完全に様々なものが混乱していた。この混乱の中でどさくさに紛れて始めた人が得をする。
筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門は50歳で何度目かの妻を娶る。それが柳原燁子(あきこ)。大正天皇のいとこ。徳川家と天皇家の間に生まれた子。燁子は25歳。兄の伯爵が選挙に出るために伊藤伝右衛門に資金援助してもらったがその関係で嫁入りしたらしい。
嫁いだらびっくりした。伝右衛門の家には妾8人が住んでいた・・・笑
まるで後の民社党の春日一幸。河村たかしは春日の秘書だった。
春日の自宅には、正妻のほかに数人の妾が住んでいたとされ、それぞれの女性に家事や来客対応などの役割分担があったといいます。まるで小さな「女系家族」あるいは「ハーレム」のような共同生活が、昭和の政治家の邸宅の中で、あっけらかんと展開されていたのです。関係者によれば、それぞれの女性との間に生まれた子どももいたという話もあり、春日は家族全体の面倒を見ていたとされます。
一部の政敵やマスコミからは「公私混同」「旧時代的」と批判もされましたが、春日は一切気にするそぶりを見せなかったと言われています。
話を柳原燁子にもどすが彼女こそ、柳原白蓮。朝日新聞で公開離縁状を出した。(これは朝日新聞が白蓮にもちかけたもの)。
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時代から取り残されてる人は取り残されてることに気づかない。取り残されてる人々の中に埋没しているからだ。