朝トレ10l JWSS
上野公園ぐるぐるコース
旧奏楽堂前の道
梅雨の中休みの晴れ。けっこう常連ジョガー、ウォーカーとすれ違った
朝飯、ごぼうときのこの味噌汁最高
夜は鯖と鮭を焼いた。
そら豆サラダ
ミッション・インポッシブル 6作目フォールアウトの後半を見た。
というかアクションシーンだけ見た。アクションシーンだけを拾ってみてもなんとなくスジが分かるのが良い。
『新・座頭市 II』第6話「五本の長脇差」を見たがこれ2回目だった。
銀蠅のお駒:夏純子
黒谷の二七:山本麟一
が出てた。
朝の学び
クーデンホーフ光子の生涯について調べる。骨董屋の娘がオーストリーの伯爵と結婚。
幕末の革命のエネルギーは郷士から起きた。郷士とは名字帯刀を許された農民。坂本龍馬もその一人。藩士で生計が立てられない下級武士。
明治の芸妓は、旗本・御家人、いわゆる国家公務員の娘が多い。旗本らは公家の文化教養に対向するためにせっせと教養を身に着けた。子どもたちに対しても。徳川が破綻すると彼らも破綻した。そして武家の娘は芸妓となった。腹が座っていて、教養を身に着けているから。
薩長の田舎侍たち、経済的成功者は深い教養を身に着けた芸妓と結婚したものが多い。桂小五郎、伊藤博文、柳原白蓮と結婚した伊東伝右衛門しかり。
本来の身分差からそれら武家出身の芸妓は輝いて見えたのだろうか。
クーデンホーフ光子(みつこ)は、明治時代の日本人女性で、オーストリア=ハンガリー帝国の外交官ハインリヒ・クーデンホーフと結婚し、初の日本人ヨーロッパ貴族となった人物です。東京・麻布の芸者出身で、当初は反対された恋愛結婚でしたが、彼女は夫の本国に渡り、貴族社会に適応しながら7人の子を育てました。その中の一人が、後に「汎ヨーロッパ運動」の創始者となるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーです。日本と欧州をつなぐ先駆者でした。
ゲランの名香「ミツコ(Mitsouko)」は、1919年に誕生したピーチとジャスミン、パチョリ、オークモスが織りなす“フルーティ・シプレ”の代表作です。名前の由来はフランス小説のヒロインですが、当時のヨーロッパ社交界で活躍した日本人貴婦人・クーデンホーフ光子を思い起こさせる象徴としても人気です。
クーデンホーフ光子こと青山みつは、東京府東京市牛込区牛込納戸町で油屋と骨董品店を営む肥前国佐賀藩出身の青山喜八と妻・津禰(つね)の三女として生まれた。小学校を卒業後に上流階級の社交の場であった会員制高級料亭の紅葉館で女中として奉公をしていた。大日本帝国憲法施行後の1892年(明治25年)、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理大使として東京に赴任してきたハインリヒ・クーデンホーフ伯爵に見初められ、大使公邸に小間使いとして奉公する。クーデンホーフ伯爵が騎馬で移動中に落馬したのを、みつが手当てしたのがなれ初めだといわれるが定かではない。