朝トレ10Kの日々。
雨模様なので折りたたみ傘をもって浅草方面へ。
そうそう、河童橋アーケードは長いが単調。犬散歩どもが邪魔すぎる。
浅草の雷門通りとか新仲見世とかけっこうアーケードが多いことに気づく。(今更か)
ということでここは雷門通り 6:26 気温21度くらいか
食通街通り
仲見世
本堂
寿司や通り
寿司清という曰く付きの寿司や1件しかなかったが、リニューアルしてた寿司初総本店が開業していた!ここは板前さんが浅草の歴史を語ってくれるのだ。。
帰って朝メシ
ママの実家からそら豆が大量に届く
産まれて初めて生のそら豆を剥く。
けっこう気持ち良い。
プチプチをやる感覚に近い。
うどんすきにしよう、ということで豚肉と野菜鍋
うどんを最終的には2人で4玉食べたか。(俺一人で3玉)めちゃ美味かった。
炭水化物とキノコの滋養で即就寝。
朝の学び
日本の金融が紙幣経済となったのは西南戦争の資金獲得のため渋沢栄一の指導で大量の紙幣を印刷したことに起因する。
柳原白蓮と伊藤伝右衛門
伊藤伝右衛門(1861年–1947年)は、福岡・筑豊地方で一代で巨万の富を築いた「炭鉱王」です。農家の出ながら独学で商才を磨き、明治期の石炭需要の拡大を背景に炭鉱経営で成功。三井との取り引きも重ね、筑豊屈指の実業家として君臨しました。豪邸を構え、美術品を集めるなど成金趣味でも知られますが、その名が全国に知れ渡ったのは、大正時代の「白蓮事件」によってでした。
1911年、伝右衛門は華族出身の歌人・柳原燁子(白蓮)と再婚します。彼女は大正天皇の従妹にあたる高貴な血筋で、美貌と教養を備えていました。しかし、20歳以上の年齢差や生活の価値観の違いから夫婦仲は悪化。白蓮は宮崎龍介という社会運動家と恋に落ち、1921年、新聞紙上に絶縁状を発表して駆け落ちしました。この前代未聞の事件で伝右衛門は「見捨てられた成金」として世間の同情も得られず、以後は静かに隠遁生活を送りました。炭鉱王の栄光と没落を象徴する一幕でした。
筑豊地方の成金トップ3に麻生がはいっていた話。