6AKA! (ロクアカ)

茅場町で働く社長のブログ

6月3日(火)野口英世とあじさいと飯倉片町交差点のDQN

朝トレ 10k
時折雨がポツポツ

上野マルイ 22度 5:38 
上野公園をぐるぐるコース

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ABABいつ壊すのか?赤札堂・・深川発祥
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蓮の葉が覆い尽くす不忍池
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おおーあじさいが咲いてきた。長岡ではみかけなかった。


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大河ドラマにあわせての企画か。
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野口英世 1876-1928 51歳没
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黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年(昭和3年)5月21日、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で死去。

趣味は浪花節、将棋、囲碁、油絵であった。ニューヨーク州シャンデークン(英語版)には野口自身が設計した別荘があり、油絵の多くはここで描かれた(画家でもある堀市郎に師事)。また野口英世が一度将棋を指すと、相手は野口英世が勝つまで勝負につき合わされたという逸話がある。

父の佐代助は酒好きの怠け者であり、野口家の貧困に拍車をかけた人物として、伝記ではもっぱら批判の対象とされることが多い。実際には性格的にむしろ人好きで好印象な人物であったとも言われる。後年、野口が恩師や友人たちを巧妙に説得して再三にわたり多額の負債を重ね「借金の天才」とまで呼ばれたほどの野口の要領の良さ・世渡りの上手さは父から受け継いだ才能であったといわれている。ただし野口は、酒好き放蕩好きな浪費家という佐代助の欠点をも受け継いでいるが、伝記では伏せられることが多い。

鶯谷南口の跨線橋。なにやら鉄オタみたいな人らが集まってる
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朝飯。昨夜のシウマイと破竹の味噌汁
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赤坂へ髪切り。
飯倉片町交差点第一通行帯にトラックが停車。
ここを抜けるのに7-8分かかった。
このトラックが奪った人々の時間の価値はどのくらいなのだろうと考える。
100人が影響を受けた。一人の平均時給2000円とする。
トータル20万円。その8分の1としたら2-3万というところか。

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麻布台ヒルズ
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夜はママと娘とそばやへ。
明日から伊東合宿。