6AKA! (ロクアカ)

茅場町で働く社長のブログ

5月15日(木)人は作家の「世界観」に惹かれる・・偉大な作品も最初は即興だった・「マルコヴィッチの穴」を見つけること・一人電通のルイス・キャロル

朝の学び、

江戸川乱歩、西村賢太・・・はコレクターだった。コレクターの特質。それは分類することが好き。分類が大好き。例えば初版本の全巻収集をするとき1巻でもなければ必死に探す。そう、穴があってはいけない。というか「穴」を見つけるのが好きなんだ。
これがなくちゃいけねぇ。これだ。

そしてこの「穴」を見つけることがマーケティングの基本。
チャールズヤン「広告の科学」早速買った。

「入社前研修、…一泊四日というのがあってね。…KJ 法を覚えさせられた。その研修を寝ないでやる。それで入社して、そこから二ヶ月くらい、チャールズ・ヤン…『広告の科学』という本…をテキストにして二ヶ月ぐらい研修をやってた。」(博報堂 14)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/advertisingscience/60/0/60_17/_pdf/-char/ja


バキューム。誰も出してないがそれを出せば消費者を一気に吸い上げることができる「穴」を見つけること。

『マルコヴィッチの穴』が頭に浮かんだ。

『マルコヴィッチの穴』(Being John Malkovich)は、1999年に制作された スパイク・ジョーンズ監督、チャーリー・カウフマン脚本によるアメリカ合衆国の映画。

人形師のクレイグと、ペットショップ店員の妻ロッテは倦怠期の夫婦。クレイグは定職に就こうと、天井が低くて立つことのできない7階と8階の間=7と1/2階にある "LesterCorp" に事務員として就職する。

ある日、クレイグはオフィスの壁に穴を発見する。それは15分間だけ俳優ジョン・ホレイショ・マルコヴィッチの頭の中に繋がるという不思議な穴だった。これを使い、上司のマキシンと共に商売を始めるが、マルコヴィッチの穴は、彼と妻ロッテの人生を大きく狂わせていくことになる。 




穴とは・・足りてないことはないか??だ。

おいおい、これ足りてねーじゃん!!誰がこれを埋めるんだよ!

である。

この力が探究心につながる。
想像力とは探究心と好奇心。
好奇心だけではダメで、え?どうしてそうなるの?と問うこと。
それが探究力、探究心。

想像力がある人は決断が早い。
初めて入る食堂でメニューをみただけでパッと決めることができる。
これは想像力があるからだ。

想像力がない人はあれこれ思い悩むわけだ。具体的なビジョンが頭に描かれない。

江戸川乱歩においては登場人物が勝手に動き出す。
明智小五郎も最初は脇役として登場した。(D坂の殺人事件)
それが勝手に動き出し、主役となる。(怪人二十面相)

ーーー

小説家というのは嘘つき。瀬戸内寂聴は4歳の娘を捨てて、愛人(旦那の弟子)と家を飛び出した。

1966年、井上光晴と高松へ講演旅行、恋愛関係になる。1973年、井上との関係を絶つために修道女になろうとしたが複数のキリスト教施設から断られる。そこで出家しようとしたが複数の仏教施設から断られる。そこで今東光に相談し中尊寺で出家。

井上は寂聴に「私は4歳で親に捨てられた」と言って口説いた。しかしこれは真っ赤な嘘。寂聴が4歳の娘とあったとき、娘が自分を母親だと分からなかった、ということをどこかで聞いていたのだった。

今東光は高僧だ。天台宗大僧正(法名 春聽)、中尊寺貫主、参議院議員。大正末期に新感覚派の作家として出発。その後出家し、長く文壇を離れたが復帰。住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など奥州を題材にした作品で人気を得た。週刊誌やテレビでも活躍し、毒舌和尚としても知られた。

1968年に参議院議員選挙全国区で自由民主党から立候補して当選し、1期務めた。選挙時は川端康成が選挙事務長となって運動に協力し、街頭で応援演説も行った。議員在職中の1970年5月16日に陸上自衛隊新発田駐屯地の講演会で「自衛隊は人を殺すのが商売なのだから、安心して殺せ」と述べて物議を醸すなど、型破りな性格と発言はつとに有名だった。「毒舌説法」でテレビや週刊誌でもコメンテーターとして人気があり、1973年から週刊プレイボーイの過激な人生相談「極道辻説法」でも知られた。生来の「喧嘩屋」でその特異な人物像から各界に多大な影響を及ぼし、梶原一騎や笹川良一と並び誇張も含め「昭和の怪人」として評されることが多い。 


週刊プレイボーイの「極道辻説法」の最後は「マスかいて寝ろ、この馬鹿野郎」みたいな言葉で終わっていたという。本当かどうか検証するために「毒舌身の上相談」を購入。


朝のオーディブルから本を3冊買ってしまった・・笑

Amazon経済圏だな。

学びの最初には驚きがなければならない。驚くことから全ては始まる。驚くことによってどうして?探究心が起動するわけだ。

ルイス・キャロル。ふしぎの国のアリス。
ルイス・キャロルは数学者。不思議の国のアリスを出版。1865年刊行。日本は慶長2年頃か。

幼い少女アリスが白ウサギを追いかけて不思議の国(英語版)に迷い込み、しゃべる動物や動くトランプなどさまざまなキャラクターたちと出会いながらその世界を冒険するさまを描いている。キャロルが知人の少女アリス・リデルのために即興でつくって聞かせた物語がもとになっており、キャロルはこの物語を手書きの本にして彼女にプレゼントする傍ら、知人たちの好評に後押しされて出版に踏み切った。1871年には続編として『鏡の国のアリス』が発表されている。

『アリス』の本文には多数のナンセンスな言葉遊びが含まれており、


翻訳が大変だったという・・・

当時、出版する場合印刷代を作家が負担しなくてはならなかった。
数学者であるキャロルは初版の売上をみて、これはいけないと思った。
そこで続編(鏡の国の・・)や芝居プロデュース、幼児向け、さらには廉価版まで一人で作った。

一人電通、一人角川状態。

『不思議の国のアリス』成立の発端は、作品出版の3年前の1862年7月4日にまで遡る。この日キャロル(ドドソン)は、かねてから親しく付き合っていたリデル家の三姉妹、すなわちロリーナ(Lorina Charlotte Liddell、13歳)、アリス(Alice Pleasance Liddell、10歳)、イーディス(Edith Mary Liddell、8歳)、それにトリニティ・カレッジの同僚ロビンスン・ダックワースとともに、アイシス川をボートで遡るピクニックに出かけた。

この行程は、オックスフォード近郊のフォーリー橋から始まり、5マイル離れたゴッドストウ村で終わった。その間キャロルは少女たち、特にお気に入りであったアリスのために、「アリス」という名の少女の冒険物語を即興で語って聞かせた。キャロルはそれまでにも彼女たちのために即興で話をつくって聞かせたことが何度かあったが、アリスはその日の話を特に気に入り、自分のために物語を書き留めておいてくれるようキャロルにせがんだ。キャロルはピクニックの翌日からその仕事に取り掛かり、8月にゴッドストウへ姉妹と出かけた際には物語の続きを語って聞かせた。この手書きによる作品『地下の国のアリス』が完成したのは1863年2月10日のことであったが、キャロルはさらに自分の手で挿絵や装丁まで仕上げたうえで、翌1864年11月26日にアリスにこの本をプレゼントした。


歴史に残る偉大な作品も最初は即興だった、という点が面白い。

そして世界観。江戸川乱歩を人々がずっと読んでるのはそのトリックやあらすじの面白さというよりも世界観だ。大正時代のグロテスクな文化の表出、その世界観。

僕らがずっとアップル製品を使うのもアップルが提示する世界観なのだ。



ということで朝トレは10K JWSS
寛永寺霊園と国立博物館の間の道。ここを通ることでいつも自分が浄化されていくような気がする笑

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不忍池の蓮

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朝めし
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自動車税を2枚払う。会社に他2枚いってるはずだ。

れチャン投稿。まずまず。
千チャンは微妙な出だし。

夕飯は麺屋。

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ここで事件勃発。ネギから変な臭いがする。
雑巾のような臭い。すぐにクレーム。交換してもらった。
しかしこの臭いに気づいたママはすごい。。。


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つけ麺。梅干しサワーは複数杯。

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