6AKA! (ロクアカ)

茅場町で働く社長のブログ

4月23日(水)人生とは死ぬまで続く「修行」なんだな・・・かの大前田栄五郎は縄張では80を過ぎても駕籠に乗らず・・・

天気予報は雨だったが外へ出るとほとんど降ってない。
でも降雨の可能性を鑑みてかっぱ橋へ。

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ここ800mあるんだっけ。。と思いながらも降る気配無し。

浅草花やしき通りから大川へ出るか。

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本堂
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スカイツリー
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東武鉄道の鉄橋と台東区役所とアサヒ。
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大川橋(吾妻橋)西詰めから
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蔵前橋をくぐると総武線の鉄橋
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電車が通過。その向こうは両国橋
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5kでUターンし、宝蔵門。
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朝飯
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久々の動画編集

夜は麺屋。ママと娘。ビール、梅干しサワーを3くらいか
定番のつまみ。細ギリメンマ、ミニチャーシュー盛り
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締めは塩ラーメン大盛り!
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帰宅後爆睡。1:30に起床。4時間半くらいは寝た。

その後、中山七里を見る。
最後の家屋倒壊のシーンは圧巻。

長谷川伸の時代物の戯曲。1929年(昭和4年)10月『舞台戯曲』十月号に発表された。絵に描いたような江戸っ子の木場の政吉は、恋仲のおさんと死に別れると、あてもない旅烏となって諸国を放浪する。それから3年。ある日ひょんなことから助けた娘お仲は、元恋人の生き写しだった。お仲のために命を賭ける政吉を恋と喧嘩と旅で綴った「股旅物」の傑作。幾度も舞台化、映画化、テレビドラマ化された。

1962年(昭和37年)5月、製作:大映京都、監督:池広一夫、脚本:宇野正男・松村正温、政吉:市川雷蔵。

博打打ちの市川雷蔵。
今は亡き惚れた女に瓜二つの中村玉緒。
本作では珍しく二番手。
ちょっと強引なところもあるヤクザな男の股旅もの。
橋幸夫の主題歌も爽快。


さらにその後読みかけの子母沢 寛 の次郎長物語、「駿河遊侠伝」(上)
めちゃくちゃおもしろくなってきた。。

例えばこんな記述だ。

「安東の文吉もそうだった。大前田の栄五郎なども八十をすぎて、尚お繩張内は決して駕へのらなかった。大前田村からざっと二十七八里離れた鳥居峠裾の田代村で、寅五郎という者が病危篤と知らせがあった。栄五郎は老齢でもあり、途も遠いので、当時二十五歳、明治三十八年まで存命してこれを語り残した吾妻郡島田生れの子分丑蔵が、駕に致しましょうかといった。栄五郎は大きな眼でじろりと睨んで、手前おれのところで何年飯をくったといった。丑蔵は御厄介になって七年に相成りますという。栄五郎は、さてさて永げえ無駄飯を食れえやがったなあといった。  途々栄五郎は、博徒が帳場内を駕へのるようになっては、もうお終えだ。必ず天罰があるものだと教えたという。このころのちゃんと筋の通った親分は、みんなこれ位の心得があった。」

英五郎といえば上州大前田村出身の国内最大の組織を持つ侠客。傘下の貸元だけで3000人、その下に代貸、三下となるとあわせて数万人規模の巨大組織のトップ。渡世人は英五郎の息のかかった渡世場では絶対に揉め事を起こしてはならなかったのだ。

人生とは死ぬまで続く修行なんだな、と。常に修行と思えばどんな苦労も苦には感じない・・・と達観してしまった。