朝トレ10K JWSS
柿川沿いもまだつぼみ
すでに若い桜は咲いてるものもあるがこういった古くからある古木はつぼみなのだ。
こいつらが咲かないと咲いたとはいえないのだ。
今日はまっすぐ大手大橋を渡った。長生橋方面を見る
大手大橋西詰め土手から
長生橋から大手大橋方面
この長生橋は県内で信濃川にかかる最初の橋だった。。
1874年(明治7年)、長岡の元庄屋であった広江椿在門(ひろえ ちんざえもん)が新潟県に対し橋梁の架設願を提出した。広江は中州を挟んで2つの木橋を架橋して、建設費用を通行料金で償還する計画を立案し、県の認可を経て1876年(明治9年)4月30日に工事に着手、同年10月20日に竣工した。新潟県内の信濃川に架橋された最初の橋梁で、河口部の新潟市と当時の沼垂町に掛かる萬代橋が開通したのは、それから10年後の1886年(明治19年)11月4日であった。
初代の長生橋を描いた『長生橋之図』。水島爾保布画。(長岡市立中央図書館所蔵)
初代の長生橋(『越佐名勝写真帖』(明治34年(1901年)刊)より)
初代の長生橋は中州を挟み東側の大橋と西側の小橋の2橋からなるもので、建設当初、その姿が龍が中州に腹を付けて寝ている様に見えることから「臥龍橋(がりゅうばし)」という名前が付けられていたが、開通の際、長岡の「長」と草生津の「生」の字を取って「長生橋」と名付けたと言われる。また「長生き」に掛けて命名したという説もあるが、橋名の正確な由来は定かではない。
そうこの中洲で中継する形で橋が2つあったわけだ。
長生橋に流れる太田川。水源は蓬平温泉のほうの山の中
柿川。匠橋 ここらへんは昔大工が住んでいたとか。
朝めしは久しぶりにご飯に納豆、卵!
音楽収益用の動画2本投稿。
先日投稿した木枯し紋次郎の投稿がけっこう伸びてきた。1.5万回
久しぶりにOver the Rainbowを弾いてみた。
解凍作業は続く。。。
夕食は妹がつくった豆腐と菜っ葉のあんかけ炒めみたいなやつ。
23時過ぎに就寝。